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歴史への招待編

金井 用津院境内
 金井の用津院(ゆうしんいん)には、六地蔵と処刑者の首を洗ったという樋(とい)が残されております。江戸時代の寛文(かんぶん)・延宝(えんぽう)期(1661〜1680)の一揆で処刑された人々を供養(くよう)するために六地蔵が建てられ、樋は金井川原で処刑された人の首を洗ったものだといわれています。
 この時期の郡内は天候不順によって凶作(きょうさく)に見舞われ、救済や年貢(ねんぐ)の減免を谷村藩に訴えました。しかし認められなかったため、今度は代表7人が江戸藩邸へ、禁じられている越訴(おっそ)を行ないました。この寛文・延宝期の一連の祈願と越訴によって、金井川原で処刑された人々がいました。